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投稿者: mika

「お口ぽかん」は、ただの癖ではありません。

最近、「子どものお口がいつも開いている」という相談が全国で増えているそうです。

これは単なる癖ではなく、「口腔機能発達不全症」と呼ばれる状態の可能性があり、今、歯科の現場でも大きな課題となっています。虫歯が減少している一方で、「食べる」「飲み込む」「話す」「鼻で呼吸する」といった、お口本来の機能が十分に育っていない子どもが増えていることが報告されています。(TBS NEWS DIG⁠)

では、なぜなのでしょうか。

原因は一つではありません。

食生活の変化、柔らかい食べ物の増加、スマートフォンやゲームの時間の増加など、さまざまな要因が考えられています。

その中でも私が特に気になったのは、「昔ながらの遊びが減ったこと」も一因ではないかという指摘です。(TBS NEWS DIG⁠)

昔の子どもたちは、外で走り回り、鬼ごっこをし、縄跳びをし、竹馬に乗り、シャボン玉を吹き、風車を回し、笛を鳴らして遊びました。

こうした遊びは、楽しみながら自然と口や舌、頬、あご、そして全身を使う遊びでもありました。

子どもの身体は、「鍛えよう」と意識して育つものではありません。

夢中になって遊ぶ中で、必要な力が自然と育っていくのです。

柏の葉学園でも、「遊びは学び」であることを大切にしています。

泥だんごを作る。
シャボン玉を吹く。
歌を歌う。
大きな声で笑う。
思い切り走る。
友達とたくさんおしゃべりをする。

一つひとつは遊びに見えますが、その時間こそが、子どもの身体や心、そして「生きる力」を育てています。

便利な時代になりました。

だからこそ、便利さだけでは育たない力があることも忘れてはいけません。

「遊ぶこと」は、子どもにとって最高のトレーニングです。

今日も子どもたちが夢中になって遊ぶ姿を、私たちは大切に見守っていきたいと思います。

子どもの未来は、遊びの中から育っていくのです。

ほんの少し、自分のための時間を。

朝のコーヒーでもいい。
焼きたてのトーストでもいい。

たった30分でも、誰にも急かされず、ゆっくり過ごす時間。

親になると、
自分のことはつい後回しになります。

「早く準備して。」
「宿題やった?」
「歯みがきした?」

気づけば一日中、子どものために動いています。

でも、親も人です。

疲れた心では、優しい言葉が出てこない日もあります。
余裕がなければ、子どもの小さな失敗まで大きく感じてしまうこともあります。

だからこそ、休むことは甘えではありません。

心を整える時間です。

一杯のコーヒーをゆっくり飲む。
温かいパンを味わう。
夫婦で何気ない話をする。

そんな穏やかな時間が、
心に少しだけ余白をつくってくれます。

その余白が、
子どもの話を最後まで聞く力になり、
「大丈夫だよ」と笑って言える優しさになります。

子どもは、完璧な親を求めているわけではありません。

笑顔で向き合ってくれる親を求めています。

どうか今日も、
ほんの少しだけ、自分を大切にしてください。

休んだあとのあなたの笑顔は、
きっと子どもにとって、一番安心できる場所になる。

色が教えてくれる、手が育ててくれる。

赤、黄、緑。

目に飛び込んでくる鮮やかな色に、子どもたちの目はキラキラと輝きます。

「わぁ、ふわふわ!」
「気持ちいい!」
「もっと混ぜたい!」

今回の感覚遊びでは、ベーキングパウダーと食紅を使って、不思議な感触を楽しみました。

最初はサラサラだった粉が、少しずつ変化していく様子を見て、手で触れ、握り、つぶし、こねる。

「冷たい。」
「やわらかい。」
「ふわふわ。」
「ねっとりしてきた!」

子どもたちは言葉だけではなく、自分の手全体でたくさんの発見をしていました。

感覚遊びは、ただ遊んでいるように見えて、実はとても大切な学びです。

指先や手のひらから伝わる刺激は、脳へと届けられ、感覚を整理する力や集中力、手先の器用さ、想像力など、さまざまな力を育んでくれます。

また、「赤と黄色を混ぜたらどうなるかな?」
「もっと水を入れたらどうなるかな?」

そんな小さな実験の積み重ねが、「やってみたい」という探究心を育てます。

正解を教わるのではなく、自分で確かめる。

柏の葉学園では、この「自分で感じる経験」を大切にしています。

手が汚れることも、服に色がつくことも、この時間では大切な勲章。

夢中になって遊んだ証です。

今日も子どもたちの小さな手は、たくさんの刺激と発見を受け取り、また一つ大きく成長しました。

遊びは、子どもにとって最高の学び。

私たちはこれからも、五感をいっぱい使いながら、「楽しい!」の中にたくさんの学びがある支援を続けていきます。

明日から、待ちに待った夏休み。

子どもたちにとって、一年で一番わくわくする季節が始まります。

柏の葉学園では、この夏を「最高の夏休み」にするため、先生たちが毎日イベントの企画や準備を進めています。

「今日は何をするの?」
「明日はどこへ行くの?」

そんな子どもたちの期待に応えられるよう、毎日が思い出になる活動をたくさん用意しています。

もちろん、楽しいだけではありません。

今年の夏も厳しい暑さが予想されるため、子どもたちの安全を最優先に、熱中症対策を徹底して行います。

  • 室内の温度・湿度をこまめに確認・管理
  • 気温や暑さ指数に応じた活動場所・行き先の判断
  • 30分ごとの水分補給の声かけ
  • 外出先の気温や日陰、休憩場所などの事前確認
  • 塩分タブレットの準備
  • 水筒の中身や飲む量の確認・補充
  • 一人ひとりの表情や顔色、体調の変化など健康観察の徹底

先生たちは、子どもたちが思いきり楽しめるように、その裏側でたくさんの準備を重ねています。

ご家族の皆さま、どうぞ安心してお子さちをお預けください。

「楽しかった!」

その一言がたくさん聞けるように。

そして、夏休みが終わる頃には、一回りも二回りも成長した子どもたちの笑顔が見られるように。

柏の葉学園は、暑さ対策を万全にしながら、今年も最高に楽しい夏を子どもたちと一緒につくっていきます。

「教育」の原点は、法律の中に書かれています!

柏の葉学園では、日々さまざまな活動を行っています。

公園で思い切り遊ぶこと。野菜を育てること。卵の殻を砕いて肥料を作ること。友達と笑い合い、ときにはぶつかり合うこと。

こうした活動を見て、「遊んでいるだけでは?」そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。

そうです!子どもたちにとって遊びはとても大切です!!
そして、私たちにはそう考える一つの根拠があります。

それが学校教育法第23条です。


学校教育法 第23条(幼稚園の目標)

幼稚園における教育は、前条に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

一 健康、安全で幸福な生活のために必要な基本的な習慣を養い、身体諸機能の調和的発達を図ること。

二 集団生活を通じて、喜んでこれに参加する態度を養うとともに、家族や身近な人への信頼感を深め、自主、自律及び協同の精神並びに規範意識の芽生えを養うこと。

三 身近な社会生活、生命及び自然に対する興味を養い、それらに対する正しい理解と態度及び思考力の芽生えを養うこと。

四 日常の会話や、絵本、童話等に親しむことを通じて、言葉の使い方を正しく導くとともに、相手の話を理解しようとする態度を養うこと。

五 音楽、身体による表現、造形等に親しむことを通じて、豊かな感性と表現する力の芽生えを養うこと。


私は、この条文を読むたびに思います。

ここには、「字を書けるようになりましょう。」「計算ができるようになりましょう。」とは、一言も書かれていません。

法律が最初に大切だと示しているのは、

健康な身体。
安心できる人との関係。
仲間と生活する力。
自然への感動。
言葉を通して心を伝え合うこと。
そして、自分を表現する喜び。等々

これらは「遊び」の中で経験し学ぶことができます。

だから柏の葉学園では、
野菜を育てます。
卵の殻を肥料にします。
泥だらけになって遊びます。
虫を見つけて歓声を上げます。
友達とけんかをし、仲直りをします。

これこそが法律が目標として掲げる教育そのものだからです。

支援とは、できないことをできるようにすることではない!
のではないでしょうか?

その子が本来持っている

を信じ、

その力が十分に発揮できる環境を整えることだと

考えています。


私たちは、子どもに何かを与えているのではありません。

子どもが自ら育つためのを耕しているのです。

花は、無理に咲かせることはできません。

種には種の時期があり、芽には芽の時期があります。

大切なのは、花を引っ張ることではなく、根が伸びる環境を整えること。


学校教育法第23条は、幼稚園の目標を定めた条文です。

しかし私は、この条文は幼児教育だけでなく、

でもあるように感じています。

結果を急ぐのではなく、土台を育てる。

教え込むのではなく、育つ力を信じる。

柏の葉学園は、これからも法律が示す教育の原点を大切にしながら、

子どもたち一人ひとりの

「育つ力」を信じ、

その歩みに寄り添ってまいりたいと思います。

一枚の葉っぱ

子どもは、歩いた場所を少しだけ持ち帰ります。

風をまとい、土の匂いをまとい、木漏れ日の温もりをまとい、そして、ときどき一枚の葉っぱを連れて帰ります。

それは、どこかで拾ったものではありません。

夢中になった時間が、そっと残してくれた贈りものです。


大人は、身についたものを払い落としながら生きています。

余計なものを落とし、汚れを落とし、無駄を落とし、整えて生きています。


けれど子どもは違います。

世界を少しずつ身体に映しながら生きています。

だから今日という一日は、一枚の葉っぱになって、その子に寄り添うのでしょうか・・・。


成長とは、何かを身につけることだけではありません。

世界と出会い、世界に触れ、世界の一部を自分の中へ迎え入れること。

その繰り返しが、人を育てていきます。

一枚の葉っぱは、自然がその子に押した、小さな『証』なのかもしれませんね。

「たまごの殻」がつないでくれたもの

「たまごの殻」がつないでくれたもの

この写真で子どもたちは何をしているのでしょう?

答えは…

卵の殻を砕いています。

「なんで?」

そう思いますよね。

実は、この卵の殻は柏の葉学園で育てている野菜たちの肥料になります。

ご家庭で出た卵の殻を持ってきていただき、

子どもたちが、洗って!乾かし!・・・その殻を細かく砕くお手伝いをしています。

やがてその殻は土に還り、野菜の栄養となります。

そして、その野菜を子どもたちが収穫し、食べる。

一つの命が、また次の命を育てていく。

そんな循環を、子どもたちは手で感じています。


この活動で私たちが一番大切にしていることは、肥料を作ることではなくて・・・。

子どもの成長が大きく伸びるのは、
家庭と学園の方向が重なったとき!!!ということを。

学園だけが頑張っても限界があります。

家庭だけが頑張っても難しいことがあります。

だからこそ、

「学園では今、こんなことをしているんですね。」

「家でも協力してみます。」

そんな一言が、子どもの育ちを大きく変えていきます。

もちろん、お仕事や家事、子育てで毎日忙しいことは十分承知しています。

だから、特別なことをお願いしたいわけではありません。

ただ、ほんの少しだけ学園の取り組みに興味を持っていただけたら。

そして、一緒に考え、一緒に子どもの成長を喜んでいただけたら。

そのきっかけが、今回の卵の殻でした。

家庭では「ゴミ」として捨てられるかもしれないものが、学園では「命を育てる資源」になります。

その一つひとつに、ご家庭の協力が詰まっています。

子どもたちは今日も、一生懸命に殻を砕いていました。

きっと、野菜のためだと思って。

でも本当は、それだけではありません。

家庭と学園をつなぐ、小さな架け橋を、子どもたちは一緒につくってくれていたのです。


私は・・・『支援』とは、子どもだけを支援する営みではないと思っています。

その第一歩は、卵の殻一つからでも始められるのだと、
今回子どもたちが教えてくれました。

そこに愛が、確かにある。

砂を掘り、小さな世界をつくり、自分だけの発見を楽しんでいます。

教えているわけでもなく・・・、
指示を出しているわけでもなく・・・。

ただ、子どものすぐそばにしゃがみ、同じ景色を見つめています。

必要になったら、すぐに手を差し伸べられる距離で。
でも、子どもの「やってみたい」を奪わない距離で。

子どもが今、何を感じ、何を考え、何を生み出そうとしているのか。

私には、
その営みに先生自身の心を重ねているように見えるから。

大人って、
つい手伝いたくなる。
つい答えを教えたくなる。
つい先回りしたくなる。

でもでも、本当に大切なのはその工程を一緒に楽しむことなのではないでしょか?

この写真には、大きな笑顔も、派手な遊びも写っていません。

けれど、目には見えない大切なものが写っています。

子どもを信じるまなざし。

子どもの時間を大切にする心。

「あなたならできる」と、言葉にしなくても伝わる存在。

愛情とは、抱きしめることだけでは、ない・・・。

静かに寄り添い、
焦らせず、
子どもの挑戦を見守ること。

その時間の積み重ねこそが、子どもの心に「安心」という土台を育てていきます。

柏の葉学園では、子どもたち一人ひとりの「今」を大切にしています。

急がせるのではなく、待つ。
やらせるのではなく、一緒に育つ。

そんな一枚の写真です。

「観察」について色々考えてみました

子どもたちの成長に係る仕事をしている私たちは

「観察」

とても大切なことだと考えています。

子どもたちの些細な行動や発言、顔色、服装・・・そこから子どもたちの状況を読み取ることができます。

「観察」とはどういうことなのか改めて考え、探求してみました。

1. 「観」の成り立ちと意味

「観」は旧字体で と書きます。

字源的には、左側の と、右側の から成る字です。「見」は目で見ることに関わる字で、「観」は「よく見る」「注意して見る」「物事の様子を見る」といった意味を持ちます。漢字辞典では、「観」は「みる/よく見る/注意して見る/様子/姿/外見」などの意味を持つ字と説明されています。(漢字辞典オンライン)

ここで大切なのは、「観」はただ視界に入れるだけの「見る」ではなく、距離を取り、全体を眺め、意味を読み取ろうとする見るに近いことです。

たとえば、

「見る」は、目に入る。
「観る」は、心を向けて見る。
「観」は、対象の姿だけでなく、あり方・流れ・本質まで見ようとする。

そのため「観」には、外側から眺めるだけでなく、物事の全体像をとらえる視線が含まれています。

2. 「察」の成り立ちと意味

「察」は、 から成る字とされます。漢検系の辞典では、「宀」と音符の「祭」から成り、「おおわれているものを取って明らかにする意」を表すと説明されています。(漢字辞典)

「察」には、「明らかにする」「知る」「詳しく見る」「よく考える」「推測する」「思いやる」といった意味があります。(OK辞典)

つまり「察」は、目に見えるものだけで終わらず、見えにくいものを感じ取り、推し量り、理解しようとする働きです。

たとえば、

表情を見て、気持ちを察する。
状況を見て、事情を察する。
小さな変化から、原因を察する。

「察」は、見えないものを勝手に決めつけることではありません。見えている手がかりから、慎重に奥を探ることです。

3. 「観察」とは何か

「観」と「察」を合わせると、観察とは、

対象をよく見て、そこに現れている状態や変化をとらえ、さらに見えにくい原因・意味・関係を明らかにしようとする営み

だと言えます。

国語辞典でも「観察」は、「物事の状態や変化を客観的に注意深く見ること」と説明されています。また仏教語としては、「智慧によって対象を正しく見極めること」という意味もあります。(コトバンク)

ここから考えると、観察には二つの方向があります。

一つは、外に向かう観察です。自然、社会、人間、物事の動きをよく見ることです。

もう一つは、内に向かう観察です。自分の感情、思考、先入観、反応をよく見ることです。

4. 科学としての観察

科学における観察は、主観をできるだけ抑え、対象の状態や変化を丁寧に記録することです。

たとえば植物を観察するとき、「元気そう」とだけ書くのでは不十分です。

葉の色はどうか。
茎の長さは何センチか。
昨日と比べて何が変わったか。
日光、水、温度との関係はどうか。

科学的な観察では、印象ではなく、事実・変化・条件・比較が大切になります。

ただし、科学的観察も完全に中立ではありません。何を見るか、どこに注目するかは、観察者の問いによって変わります。つまり観察とは、ただ受け身で見ることではなく、問いを持って見ることでもあります。

5. 人間関係としての観察

相手の言葉だけでなく、沈黙、表情、声の調子、間の取り方、態度の変化を見る。そこから「何を感じているのか」「何に困っているのか」を察する。

ここでは「観」だけでは足りません。外側の様子を見るだけなら、相手を表面的に判断してしまうことがあります。そこに「察」が加わることで、相手の立場や背景を思いやる理解になります。

ただし、察しすぎにも注意が必要です。

「きっとこう思っているに違いない」と決めつけると、それは観察ではなく思い込みになります。人間関係における観察は、相手をよく見ることと、断定しすぎないことの両方が必要です。

6. 自己理解としての観察

観察は外の世界だけでなく、自分自身にも向けられます。

なぜ今、腹が立ったのか。
なぜこの言葉に傷ついたのか。
なぜ同じ失敗を繰り返すのか。
なぜこの人の前では緊張するのか。

自分を観察するとは、自分を責めることではありません。自分の心の動きを、少し距離を置いて見ることです。

この意味で観察は、自己成長の出発点になります。なぜなら、人は自分が気づいていない癖を変えることは難しいからです。まず気づく。次に理解する。そして少しずつ選び直す。観察はその最初にあります。

7. 哲学的に見る「観察」

哲学的に考えると、観察は「世界をそのまま見ること」であると同時に、「自分の見方を通して世界を見ること」でもあります。

同じ景色を見ても、人によって感じることは違います。

農家は土や天気を見る。
画家は光や色を見る。
医師は顔色や姿勢を見る。
子どもは遊び場を見る。
旅人は珍しさを見る。

つまり、観察には必ず「視点」があります。

だからこそ、本当に深い観察には、二つの姿勢が必要です。

一つは、対象を丁寧に見ること。
もう一つは、自分の見方が偏っていないかを疑うこと。

観察とは、世界を見る行為であると同時に、自分のまなざしを問い直す行為でもあります。

8. 「観察」と「観測」「監視」「考察」の違い

「観察」は、対象を注意深く見て、状態や変化を理解しようとすることです。

「観測」は、より数値的・測定的です。天気、地震、天体などを測るときによく使います。

「監視」は、異常や違反がないかを見張る意味が強くなります。対象との関係に緊張があります。

「考察」は、観察したことをもとに考え、意味や原因を深めることです。

つまり、

観察は、よく見る。
観測は、測って見る。
監視は、見張る。
考察は、見たことを考える。

この中で「観察」は、見ることと考えることの中間にあります。見て終わりではなく、考察へ向かう入口です。


「観察」とは、目で見るだけの行為ではありません。

は、全体をよく見ること。
は、見えにくいものを明らかにしようとすること。

したがって観察とは、

目に見える事実を丁寧にとらえ、そこから見えない関係・変化・意味を慎重に理解しようとすること

です。

さらに言えば、観察とは「対象を知る技術」であり、「思い込みを減らす訓練」であり、「世界と自分へのまなざしを深める態度」でもあります。

よく観る人は、すぐに決めつけません。
よく察する人は、見えないものを乱暴に断定しません。
本当の観察とは、注意深さと謙虚さをもって、物事に近づくことだと思います。

文月

文字に思いをのせる七月

七月になりました。

一年の半分が過ぎ、いよいよ夏の気配が濃くなってきます。
空は高く、日差しは強く、草木はぐんぐん伸びていきます。
子どもたちの声も、夏の空に負けないくらい元気に響く季節です。

七月の和風月名は「文月」といいます。
「ふみづき」と読みます。

この「文月」という名前には、いくつかの由来があります。

よく知られているのは、七夕に関係する由来です。
七夕には、短冊に願いごとを書きます。
昔の人々も、詩や歌を書いたり、書の上達を願ったりしました。
その「文を書く月」から、「文月」と呼ばれるようになったという説があります。

「文」とは、ただの文字ではありません。
思いをのせるものです。
願いを形にするものです。
心の中にあるものを、相手に伝えるための大切な道具です。

また、稲穂がふくらみ始める月という意味から、
「穂含月(ほふみづき)」が変化して「文月」になったという説もあります。

どちらの由来にも共通しているのは、
目には見えにくいものが、少しずつ形になっていくということです。

短冊に書いた願い。
田んぼで育つ稲の穂。
子どもたちの心の成長。
日々の小さな積み重ね。

どれも、すぐに大きな結果が見えるものではありません。
けれど、確かに育っています。

子どもたちの成長も同じです。

昨日できなかったことが、今日少しできるようになる。
言えなかった気持ちを、ぽつりと言葉にできる。
けんかになりそうな場面で、少しだけ我慢する。
「ありがとう」「ごめんね」が言える。

それは大人から見ると小さな一歩かもしれません。
しかし、その一歩には大きな意味があります。

文月は、文字に思いをのせる月。
そして、育ちを静かに見守る月。

七夕の短冊に願いを書くように、
子どもたち一人ひとりの中にも、たくさんの願いや可能性があります。

「もっとできるようになりたい」
「ほめられたい」
「友だちと仲良くしたい」
「自分の気持ちをわかってほしい」

言葉にできる子もいれば、まだうまく言葉にできない子もいます。
だからこそ、大人はその小さなサインを見逃さず、
焦らず、急がず、丁寧に関わっていきたいものです。

文月。
文字が心を運ぶ月。
願いが空へ向かう月。
稲穂が静かに実りへ向かう月。

七月も、子どもたちの小さな成長を大切に見つめながら、
一日一日を丁寧に過ごしていきたいと思います。