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タグ: ふくろう先生

森のふくろう先生のひとりごと

可愛い子には旅をさせよ

こんにちは。

森の真ん中の大きなクスノキに住む、300歳のふくろう先生です。

子どもが困っていると、

つい手を貸したくなります。

転びそうなら支えたくなるし、

失敗しそうなら止めたくなります。

だって可愛いのですから。

でも、昔の人は言いました。

「可愛い子には旅をさせよ」

これは、

遠くへ行かせなさいという意味ではありません。

苦労や失敗を経験させなさい、

という意味です。

転んだから歩き方を覚える。

失敗したから考えるようになる。

悔しい思いをしたから強くなる。

成長は、いつも少しの困難と一緒にやってきます。

親は子どもの人生を代わりに歩くことはできません。

だからこそ、

小さな挑戦を見守ることが大切です。

助けることも愛情。

見守ることも愛情。

その両方が子どもを育てます。

種は急いでも芽を出しません。

けれど、自分の力で土を押し上げた芽は、

強く大きく育つのです。

森のふくろう先生のひとりごと

「存分」と「やり放題」の違い

こんにちは。

森のはずれの大きなクヌギの木で暮らしている、300歳のふくろう先生です。

先日、森の子どもたちにこう言いました。

「今日は存分に遊びなさい。」

すると子ダヌキが言いました。

「先生!存分にってことは、池に飛び込んでもいいし、畑の野菜を全部食べてもいいんだよね?」

先生は思わず羽を落としそうになりました。

いやいや。

それは『存分』ではなく『やりたい放題』です。

どうやら最近、「存分」という言葉を勘違いしている動物が増えているようです。

本来の『存分』とは、

「力を十分に発揮すること」
「思い切り取り組むこと」

です。

決して、

「ルールを無視して好き勝手にすること」

ではありません。

もし『存分』が『やりたい放題』なら、

ウサギは毎日ニンジン畑を荒らし、

サルは他人の木の実を全部食べ、

クマは冬眠せずに一年中寝ているでしょう。

それでは森は成り立ちません。

さて、もうひとつ気になる言葉があります。

それは『適当』です。

先生が、

「この枝を適当な長さに切ってください」

と言うと、

若いカラスがこう言いました。

「適当ってことは適当にやればいいんですね!」

バキッ!

ボキッ!

メキメキ!

……結果、巣が半分崩れました。

『適当』とは本来、

「ちょうどよい」
「ふさわしい」

という意味です。

決して、

「どうでもいい」

ではありません。

むしろ反対です。

状況をよく見て判断する、高度な言葉なのです。

ところが不思議なことに、

辞書を開かなくなった人ほど言葉を軽く扱い、

本を読まなくなった人ほど言葉の意味を決めつけます。

森でも同じです。

地図を見たことのないモグラほど、

道案内に自信満々だったりします。

少し厳しいことを言えば、

知らないことは恥ではありません。

先生も300年生きていますが、今でも知らないことだらけです。

しかし、

「知らないままでいい」

と思ってしまうのは少し危険です。

言葉を学ぶということは、

ただ賢くなるためではありません。

人の話を正しく理解し、

自分の思いを正しく伝えるためです。

言葉を間違えると、

時には人間関係まで間違えてしまいます。

だから先生は今日も本を開きます。

そして知らない言葉に出会うたびに調べます。

種は急いでも芽を出しません。

けれど学び続けた種は、

いつか大きな木になります。

さて。

あなたは最近、辞書を開きましたか?

森のふくろう先生のひとりごと

ワールドカップが教えてくれること

こんばんは。

森のはずれのクスノキに住む、300歳のふくろう先生です。

最近、森の動物たちもワールドカップの話題で持ちきりです。

子ザルはボールを蹴りながら言いました。

「先生!日本は勝てるかな?」

子ウサギも言います。

「優勝できるかな?」

すると子リスが、

「負けたら意味ないよね。」

と言いました。

その言葉を聞いて、先生は少し首をかしげました。

さて、本当にそうでしょうか。

ワールドカップに出場する国は世界中から選ばれた強豪ばかりです。

そこに立つだけでも大変なことです。

何年も努力を重ね、
何千時間も練習を積み、
悔し涙を流しながらも前を向いてきた選手たちがいます。

試合では勝つこともあれば負けることもあります。

しかし、

「勝ったから価値がある」

のではありません。

「挑戦したから価値がある」

のです。

森の学校でも同じです。

テストで100点を取る子もいます。

運動会で1位になる子もいます。

でも本当に大切なのは、

昨日の自分より少し成長できたか。

そこなのです。

ワールドカップを見ていると、

世界最高レベルの選手でさえミスをします。

シュートを外します。

パスを失敗します。

転びます。

それでも諦めません。

なぜなら、

成功する人は失敗しない人ではなく、

失敗しても立ち上がる人だからです。

森の若い動物たちは、

失敗するとすぐに落ち込んでしまいます。

でも先生は思います。

失敗とは、

「できなかった証拠」ではなく、

「挑戦した証拠」なのだと。

ワールドカップはサッカーの大会です。

しかし、本当に見てほしいのは技術だけではありません。

仲間を信じる姿。

最後まで走る姿。

苦しい時に声を掛け合う姿。

諦めない姿。

そこには人生で大切なことがたくさん詰まっています。

結果はいつか忘れられます。

けれど、

全力で挑戦した姿は人の心に残ります。

だから先生は今日も子どもたちに伝えます。

勝ち負けも大切。

でもそれ以上に、

挑戦する勇気を大切にしよう。

種は急いでも芽を出しません。

けれど挑戦し続けた種は、

いつか大きな花を咲かせるのです。

君子は本を務む。本立ちて道生ず。

ふくろう先生のひとりごと

最近、子育てについて相談を受けていると、こんな言葉をよく耳にします。

「どう褒めたら自己肯定感が上がりますか?」

「集中力をつけるにはどうしたらいいですか?」

「発達を伸ばす方法を教えてください。」

どれもお母さんたちにとっては切実な質問です。。

しかし、私は時々こんなことを考えます。

その前に、もっと大切なことはないだろうか。

中国の古い書物『論語』にこんな言葉があります。

「君子は本を務む。本立ちて道生ず。」

読み方は「くんしは もとを つとむ。もと たちて みち しょうず。」

意味は「立派な人はまず根本を大切にする。
根本がしっかりすれば、進むべき道は自然と見えてくる。


木を育てる時を想像してみてください。

葉の色が悪い。

枝の伸び方が気になる。

実がならない。

そんな時、葉っぱを磨いたり、枝先ばかりを眺めたりしても木は元気になりません。

大切なのは根です。土です。水です。

見えない部分です。


子育ても同じです。

勉強の前に生活。

生活の前に親子関係。

親子関係の前に家庭の安心感。

これらが根っこの部分です。

根が弱ければ、どんなに立派な教育方法を試しても長続きしません。

逆に根がしっかりしていれば、多少回り道をしても子どもは育っていきます。


現代は情報があふれています。

自己肯定感。非認知能力。個性尊重。主体性。…

どれも大切な言葉です。

しかし、言葉だけを追いかけていると、本来見るべきものを見失うことがあります。

子どもはこれらの言葉で育つのではありません。

毎日の暮らしの中で育ちます。

家族との会話で育ちます。

「おはよう」

「いってらっしゃい」

「おかえり」

そんな何気ない積み重ねの中で育っていきます。


子育てに迷った時は、枝葉ではなく根っこを見てみてください。

勉強ができるか?運動が得意か?……それも大切ですが、

でも、その前に

安心して眠れているだろうか。

家族で笑えているだろうか。

挨拶ができているだろうか。

人を大切にできているだろうか。

そんな根っこの部分を見つめてみてください。


種は急いでも芽を出しません。

根を張る時間が必要です。

だから焦らなくて大丈夫。

まずは根を育てること。

そうすれば、いつか必ずその子らしい花が咲きます。

君子は本を務む。本立ちて道生ず。

子育てもまた、根本を大切にすることから始まるのだと思います。

子は親の鏡

「子は親の鏡」

昔から言われている言葉です。

子どもたちと関わる仕事をしていると、この言葉の重みを感じることがあります。
もちろん、子どもの行動のすべてが親の影響とは言いません。

生まれ持った個性もあります。
友達との関わりもあります。
学校や地域の環境もあります。

それでも、
日々の言葉遣い、
人との接し方、
約束との向き合い方、
物事の考え方・・・。

そうしたものは驚くほど家庭の影響を受けています。


子どもは親の姿を見て育ちます。

「挨拶をしなさい。」と言いながら親自身が挨拶をしなければ、子どもは挨拶の大切さを学びません。

「人に優しくしなさい。」と言いながら親が人の悪口ばかり言っていれば、子どもはその姿を見ています。

「約束を守りなさい。」と言いながら大人が約束を軽く扱えば、子どもも約束を軽く考えるようになります。

子どもは大人が思っている以上によく見ています。
そして、その姿を真似しながら成長していきます。



不思議なことに、

親が変わり始めると、子どもも変わり始めます。
親が穏やかになると、子どもも穏やかになります。
親が感謝を口にすると、子どもも感謝を口にします。                                               親が挑戦する姿を見せると、子どもも挑戦し始めます。

子どもを変える近道は、
子どもを変えようとすることではなく、
自分自身を見つめ直すことなのかもしれません。


子育ては子どもを育てる時間であると同時に、親自身が成長する時間でもあります。

子どもの姿は、時に私たちの良いところを映し、時に見たくない部分も映し出します。

だからこそ、「子は親の鏡」という言葉は少し怖い。

でも同時に希望のある言葉でもあります。

なぜなら、親が変われば、子どもも変わる可能性を持っているからです。


池の水面は、向かい合う木の姿を映す。
子どももまた、毎日見ている大人の姿を映している。
だから鏡を責める前に、
映っている自分を見つめてみよう。
「子どもを育てるとは、自分自身を育て続けることでもあるんだよ。」
- 森のふくろう先生 -

森のふくろう先生から、お母さんたちへ

今日もお疲れさま。

子育てをしていると、

できていないことばかりが目につく日がある。

叱ってしまったこと。

イライラしてしまったこと。

思うようにいかなかったこと。

でもね、

子どもは意外と覚えている。

毎日のお弁当も、

「いってらっしゃい」も、

迎えに来てくれることも、

当たり前のように隣にいてくれることも。


お母さんは、

完璧だから必要なのではない。

そこにいてくれるから必要なんだ。


「子どもは、お母さんの百点満点ではなく、毎日の愛情で育つんだよ。」

- 森のふくろう先生 - 

工作がしたかった日

今日は森で一羽の小鳥を見かけた。

その小鳥は飛ぶ練習をしなければならない日だった。

けれど小鳥は言う。

「今日は飛びたくない。」

「木の実で遊びたい。」

「飛ぶ練習はしたくない。」

困った親鳥は木の実を渡した。

すると小鳥は泣き止んだ。

その場は静かになった。

誰も困らなくなった。

でも、

飛ぶ練習は終わっていない。


人は困りごとが起きると、

その場を収めたくなる。

泣き止ませたい。

怒らせたくない。

嫌な思いをさせたくない。

それは優しさ?でもある。

でも時々、

その優しさ?が成長の機会を遠ざけてしまうことがある。


今日、ある子が「工作がしたい」と泣いていた。

本当に欲しかったものは工作だったのだろうか。

私はそうは思わない。

その子は、

何が良くて何が悪いかを知っている。

今やるべきことも分かっている。

勉強が必要なことも。

体を動かすことが必要なことも。

自分自身の課題も。

本当は分かっている。

だから苦しいのだ。


成長とは、

知ることではない。

行動することだ。

頭で分かっていることを、

実際にやれるようになることだ。

その間にはいつも、

「自分との戦い」がある。


しばらくすると、その子は自分から言った。

「何をやればいい?」

その一言が聞けた時、

私は安心した。

自分自身の心に少しだけ勝てたのだ。


大人は時々、

目の前の問題を消そうとする。

でも本当に大切なのは、

問題を消すことではなく、

乗り越える力を育てることなのかもしれない。


その子は今日、

工作を我慢した。

その代わり、

少しだけ成長した。

それは工作で作った作品より、

ずっと価値のあるものだと私は思う。


🦉 森のふくろう先生のひとりごと

木の実を渡せば、その場は静かになる。

でも飛ぶ力は育たない。

飛べるようになるために必要なのは、

木の実ではなく勇気だ。

「本当の優しさとは、困らせないことではなく、困難を越える力を信じて待つことなんだよ。」

- 森のふくろう先生 -

森のふくろう先生のひとりごと

今日できたことを数える人は多い。

今日できなかったことを数える人もいる。

でもね、

本当に大切なのは、

今日もあきらめずに歩いたことなんだ。

大きな成長は見えなくても、

根っこは今日も少し伸びている。

「芽が出ない夜も、育ちは止まっていないよ。」

おやすみなさい🌙

- 森のふくろう先生 - 🌱🦉

一緒に考えて欲しいこと

「これくらい(いいじゃん・・・)」が集まると・・・


森のふくろう先生

最近ねぇ、考えさせられることがあったんだよ。

保護者の方から、

「マンションの玄関まで送ってほしい」というお願いをいただいた。
(マンションにお住いの方には、子どもたち全員の安全を確保するためにエントランスでの送迎をお願いしている。)

一見すると、それほど難しいお願いには聞こえないかもしれない。

でもねぇ。

私たちが送迎しているのは、その子一人じゃないんだなぁ。

車の中には他にも子どもたちが乗っている。

しかも発達に特性のある子どもたちだ。

目を離せば車内でトラブルになることもある。

飛び出しの危険もある。

パニックになる子もいる。

だから職員は車から離れられないんだよ。

もしマンションのエレベーターに乗って玄関まで送り届けたら、その間、車の中の子どもたちは誰が見守るんだろうねぇ。

一人の安全を守るために、他の子どもたちを危険にさらすわけにはいかない。

これは冷たい話ではなくて、福祉の現場では当たり前の安全管理なんだ。

私たちは児童福祉法に基づいて仕事をしている。

子どもの最善の利益を考えることはもちろん大切だ。

でもその前に、まずは安全。

これが私たちの最も大切な責任なんだよ。

そしてねぇ。

保護者の方にも考えてほしいことがある。

「これくらい」

そう思う気持ちは分からなくもない。

でもね、

みんなが「このくらい」と言ったらどうなるだろう。

玄関まで送ってほしい。

送迎を最後にしてほしい。

親戚の家に送ってほしい。

宿題を最後までやってほしい。

音読をやってほしい。

個別に対応してほしい。

それを全員分やっていたら、福祉サービスそのものが成り立たなくなってしまう。

福祉制度は一人のためだけにあるのではない。

みんなで支え合うための制度なんだ。

だから私たちは時々、

「できません」と言うことがある。

それは職員が楽をしたいからではない。

意地悪をしたいからでもない。

他の子どもたちの安全と権利も守らなければならないからなんだよ。

今回のケースもそうだ。

留守番ができると判断したのは、第一義的責任を持つ保護者の判断を尊重した結果だった。

しかし、「留守番はできる」と「職員が玄関まで送り届ける」は別の話なんだ。

そして、それぞれご家庭の環境も違うから。

留守番ができるのであれば、その前提に立った環境づくりを家庭で考える必要がある。

家庭で担うべき部分と、福祉サービスが担う部分。

その線引きは、とても大切なんだよねぇ。

私たちはお手伝いさんではない。

便利屋でもない。

子どもたちの成長を支える支援者なんだ。

だからお願いしたい。

何かを要望するときは、

「親として助かるか」ではなく、「子どもたち全体の安全や利益から見てどうだろう」という視点も持ってほしい。

子どもの最善の利益は、

大人の都合の上には成り立たないんだからねぇ。

今日は素敵な1日だった

世の中は大きなニュースであふれている。

でも今日、
カタツムリを見つけて喜んだ子がいた。

その小さな発見は、
その子にとって今日一番のニュースだった。

「世界を変える力は、まず足元に気づくことから始まる。」

- 森のふくろう先生 -