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タグ: お知らせ

ほんの少し、自分のための時間を。

朝のコーヒーでもいい。
焼きたてのトーストでもいい。

たった30分でも、誰にも急かされず、ゆっくり過ごす時間。

親になると、
自分のことはつい後回しになります。

「早く準備して。」
「宿題やった?」
「歯みがきした?」

気づけば一日中、子どものために動いています。

でも、親も人です。

疲れた心では、優しい言葉が出てこない日もあります。
余裕がなければ、子どもの小さな失敗まで大きく感じてしまうこともあります。

だからこそ、休むことは甘えではありません。

心を整える時間です。

一杯のコーヒーをゆっくり飲む。
温かいパンを味わう。
夫婦で何気ない話をする。

そんな穏やかな時間が、
心に少しだけ余白をつくってくれます。

その余白が、
子どもの話を最後まで聞く力になり、
「大丈夫だよ」と笑って言える優しさになります。

子どもは、完璧な親を求めているわけではありません。

笑顔で向き合ってくれる親を求めています。

どうか今日も、
ほんの少しだけ、自分を大切にしてください。

休んだあとのあなたの笑顔は、
きっと子どもにとって、一番安心できる場所になる。

明日から、待ちに待った夏休み。

子どもたちにとって、一年で一番わくわくする季節が始まります。

柏の葉学園では、この夏を「最高の夏休み」にするため、先生たちが毎日イベントの企画や準備を進めています。

「今日は何をするの?」
「明日はどこへ行くの?」

そんな子どもたちの期待に応えられるよう、毎日が思い出になる活動をたくさん用意しています。

もちろん、楽しいだけではありません。

今年の夏も厳しい暑さが予想されるため、子どもたちの安全を最優先に、熱中症対策を徹底して行います。

  • 室内の温度・湿度をこまめに確認・管理
  • 気温や暑さ指数に応じた活動場所・行き先の判断
  • 30分ごとの水分補給の声かけ
  • 外出先の気温や日陰、休憩場所などの事前確認
  • 塩分タブレットの準備
  • 水筒の中身や飲む量の確認・補充
  • 一人ひとりの表情や顔色、体調の変化など健康観察の徹底

先生たちは、子どもたちが思いきり楽しめるように、その裏側でたくさんの準備を重ねています。

ご家族の皆さま、どうぞ安心してお子さちをお預けください。

「楽しかった!」

その一言がたくさん聞けるように。

そして、夏休みが終わる頃には、一回りも二回りも成長した子どもたちの笑顔が見られるように。

柏の葉学園は、暑さ対策を万全にしながら、今年も最高に楽しい夏を子どもたちと一緒につくっていきます。

「教育」の原点は、法律の中に書かれています!

柏の葉学園では、日々さまざまな活動を行っています。

公園で思い切り遊ぶこと。野菜を育てること。卵の殻を砕いて肥料を作ること。友達と笑い合い、ときにはぶつかり合うこと。

こうした活動を見て、「遊んでいるだけでは?」そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。

そうです!子どもたちにとって遊びはとても大切です!!
そして、私たちにはそう考える一つの根拠があります。

それが学校教育法第23条です。


学校教育法 第23条(幼稚園の目標)

幼稚園における教育は、前条に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

一 健康、安全で幸福な生活のために必要な基本的な習慣を養い、身体諸機能の調和的発達を図ること。

二 集団生活を通じて、喜んでこれに参加する態度を養うとともに、家族や身近な人への信頼感を深め、自主、自律及び協同の精神並びに規範意識の芽生えを養うこと。

三 身近な社会生活、生命及び自然に対する興味を養い、それらに対する正しい理解と態度及び思考力の芽生えを養うこと。

四 日常の会話や、絵本、童話等に親しむことを通じて、言葉の使い方を正しく導くとともに、相手の話を理解しようとする態度を養うこと。

五 音楽、身体による表現、造形等に親しむことを通じて、豊かな感性と表現する力の芽生えを養うこと。


私は、この条文を読むたびに思います。

ここには、「字を書けるようになりましょう。」「計算ができるようになりましょう。」とは、一言も書かれていません。

法律が最初に大切だと示しているのは、

健康な身体。
安心できる人との関係。
仲間と生活する力。
自然への感動。
言葉を通して心を伝え合うこと。
そして、自分を表現する喜び。等々

これらは「遊び」の中で経験し学ぶことができます。

だから柏の葉学園では、
野菜を育てます。
卵の殻を肥料にします。
泥だらけになって遊びます。
虫を見つけて歓声を上げます。
友達とけんかをし、仲直りをします。

これこそが法律が目標として掲げる教育そのものだからです。

支援とは、できないことをできるようにすることではない!
のではないでしょうか?

その子が本来持っている

を信じ、

その力が十分に発揮できる環境を整えることだと

考えています。


私たちは、子どもに何かを与えているのではありません。

子どもが自ら育つためのを耕しているのです。

花は、無理に咲かせることはできません。

種には種の時期があり、芽には芽の時期があります。

大切なのは、花を引っ張ることではなく、根が伸びる環境を整えること。


学校教育法第23条は、幼稚園の目標を定めた条文です。

しかし私は、この条文は幼児教育だけでなく、

でもあるように感じています。

結果を急ぐのではなく、土台を育てる。

教え込むのではなく、育つ力を信じる。

柏の葉学園は、これからも法律が示す教育の原点を大切にしながら、

子どもたち一人ひとりの

「育つ力」を信じ、

その歩みに寄り添ってまいりたいと思います。

文月

文字に思いをのせる七月

七月になりました。

一年の半分が過ぎ、いよいよ夏の気配が濃くなってきます。
空は高く、日差しは強く、草木はぐんぐん伸びていきます。
子どもたちの声も、夏の空に負けないくらい元気に響く季節です。

七月の和風月名は「文月」といいます。
「ふみづき」と読みます。

この「文月」という名前には、いくつかの由来があります。

よく知られているのは、七夕に関係する由来です。
七夕には、短冊に願いごとを書きます。
昔の人々も、詩や歌を書いたり、書の上達を願ったりしました。
その「文を書く月」から、「文月」と呼ばれるようになったという説があります。

「文」とは、ただの文字ではありません。
思いをのせるものです。
願いを形にするものです。
心の中にあるものを、相手に伝えるための大切な道具です。

また、稲穂がふくらみ始める月という意味から、
「穂含月(ほふみづき)」が変化して「文月」になったという説もあります。

どちらの由来にも共通しているのは、
目には見えにくいものが、少しずつ形になっていくということです。

短冊に書いた願い。
田んぼで育つ稲の穂。
子どもたちの心の成長。
日々の小さな積み重ね。

どれも、すぐに大きな結果が見えるものではありません。
けれど、確かに育っています。

子どもたちの成長も同じです。

昨日できなかったことが、今日少しできるようになる。
言えなかった気持ちを、ぽつりと言葉にできる。
けんかになりそうな場面で、少しだけ我慢する。
「ありがとう」「ごめんね」が言える。

それは大人から見ると小さな一歩かもしれません。
しかし、その一歩には大きな意味があります。

文月は、文字に思いをのせる月。
そして、育ちを静かに見守る月。

七夕の短冊に願いを書くように、
子どもたち一人ひとりの中にも、たくさんの願いや可能性があります。

「もっとできるようになりたい」
「ほめられたい」
「友だちと仲良くしたい」
「自分の気持ちをわかってほしい」

言葉にできる子もいれば、まだうまく言葉にできない子もいます。
だからこそ、大人はその小さなサインを見逃さず、
焦らず、急がず、丁寧に関わっていきたいものです。

文月。
文字が心を運ぶ月。
願いが空へ向かう月。
稲穂が静かに実りへ向かう月。

七月も、子どもたちの小さな成長を大切に見つめながら、
一日一日を丁寧に過ごしていきたいと思います。

サッカーワールドカップから子どもたちに伝えたいこと

今、世界中が注目しているサッカーワールドカップ。

世界の国々の選手たちが、ひとつのボールを追いかけて、全力で走り、考え、仲間と声をかけ合いながら戦う姿には、たくさんの学びがあります。

サッカーは、ひとりだけ上手でも勝てるスポーツではありません。

シュートを決める人がいる。
パスを出す人がいる。
相手の攻撃を止める人がいる。
仲間のために走る人がいる。
ベンチから声を出して応援する人がいる。

一人ひとりに役割があり、その役割がつながることで、ひとつのチームになります。

これは、子どもたちの生活にもよく似ています。

園での生活も、学校での生活も、家庭での生活も、ひとりだけで成り立っているわけではありません。

誰かが困っていたら声をかける。
友だちが頑張っていたら応援する。
自分にできることを一生懸命やる。
失敗した友だちを笑わずに、「大丈夫」「次があるよ」と伝える。

そうした一つひとつの行動が、集団生活の中でとても大切になります。

ワールドカップでは、勝つチームもあれば、負けるチームもあります。

でも、子どもたちに伝えたいのは、勝ち負けだけではありません。

負けそうになっても最後まで走ること。
失敗しても下を向き続けないこと。
仲間を信じること。
自分にできることを最後までやり切ること。

そこにこそ、大きな学びがあるのだと思います。

試合を見ていると、選手たちは何度も転びます。
ボールを取られることもあります。
思い通りにいかない場面もたくさんあります。

それでも、すぐに立ち上がり、またボールを追いかけます。

その姿は、子どもたちにとっても大切なメッセージになります。

最初から何でも上手にできる人はいません。
勉強も、運動も、遊びも、生活習慣も、何度も失敗しながら少しずつ身についていきます。

大切なのは、失敗しないことではありません。

失敗したあとに、もう一度やってみようと思えること。
うまくいかなかった理由を考えること。
仲間と力を合わせること。
そして、最後まであきらめないことです。

子どもたちにも、毎日の生活の中にそれぞれの「ワールドカップ」があります。

朝の準備を頑張るワールドカップ。
友だちにやさしくするワールドカップ。
給食を楽しく食べるワールドカップ。
苦手なことに挑戦するワールドカップ。
宿題に向かってみるワールドカップ。

大きなトロフィーはなくても、昨日より少し頑張れたら、それは立派な成長です。

昨日より少しやさしくできた。
昨日より少し我慢できた。
昨日より少し挑戦できた。
昨日より少しあきらめなかった。

それは、子どもたち一人ひとりの中にある大切な勝利です。

ワールドカップを通して、子どもたちにはスポーツの楽しさだけでなく、仲間と協力すること、最後までやり抜くこと、失敗しても立ち上がることの大切さを感じてほしいと思います。

今日の合言葉は、

「転んでも、もう一回!」
「ひとりじゃない、みんなでチーム!」
「今日の自分に、ナイスプレー!」

子どもたち一人ひとりが、今日も自分らしいナイスプレーを見せてくれることを楽しみにしています。

🍆ぼくは、学園のなすです。

こんにちは。
柏の葉学園のプランターで育っている、なすです。

毎日、子どもたちが
「大きくなったね!」
「もう食べられるかな?」
と、ぼくを見に来てくれます。

一番うれしいのは
♪「おおきくなーれ!おおきくなーれ!パワー(*^^)v」の掛け声のもと
手をかざしてパワーをくれること♥

正直に言うとね。
ぼくは、一日では大きくなれません。

太陽の光を浴びて、
雨や水をもらって、
風に揺られて、
少しずつ、少しずつ育っています。

いつもパワーをくれる子どもたちも同じなんだと思います。

昨日できなかったことが、
今日できるとは限らない。

でも、昨日より少し考えられた。
昨日より少し待てた。
昨日より少し笑顔が増えた。

それだけでも、ちゃんと育っているんです。

ぼくを見て、
「まだ小さいね。」
と言う人はいません。

「もう少しだね。」
と、みんな待ってくれます。

子どもたちにも、
そんな優しい眼差しが向けられたら嬉しいな。

急いで大きくなる野菜はありません。

急いで育つ子どももいません。

だから今日も、
ぼくは空を見上げて、ゆっくり大きくなります。

そして食卓に並ぶその日まで、
子どもたちに「育つって、待つことなんだよ」と、
静かに伝え続けようと思います。

🍆 今日のひとこと

「成長は、急がせるものではなく、信じて待つもの。」

— 柏の葉学園のなすより 🌱

勉強とは何か?を考えてみました。

「勉強」という言葉は、「勉めを強いる」と書きます。

「勉める」とは、無理をしてでも力を尽くすこと、困難に負けず努力することです。
「勉」には、精を出して励むこと、また当然やらなければならない物事、義務という意味があります。

一方で、「強いる」とは、他人の意思を無視して無理に押し付けること、無理に行わせること、強制することを意味します。

この言葉だけを見ると、「勉強」とは少し厳しいものに感じられるかもしれません。
しかし、人が集団で生きていくうえで、「勉めを強いる」という行為は、とても大切なものだったのではないでしょうか。

例えば、狩猟の時代を考えてみます。
何も知らない若者が狩猟についていったとしても、知識や技術がなければ獲物を捕ることはできません。獲物が捕れなければ、自分だけでなく、家族や集団全体が困ることになります。場合によっては、生命に関わる問題にもなります。

だからこそ、昨日失敗したことを反省し、先輩から教わり、技術を覚え、次は少しでもできるようになろうとする。
この行為こそが、「勉めを強いる」ということではないかと思います。

つまり勉強とは、現在で言う単に机に向かって教科書を読むこと、書くこと・・・の前に
昨日より今日の自分が少しでも成長できるように、自分に負荷をかけて学ぶこと事態の行為です。

成長するということは、自分にある程度のストレスを与えることでもあります。
変化にはストレスが伴います。今までできなかったことに挑戦するからこそ、苦しさや面倒くささを感じるのです。しかし、そのストレスを乗り越えた先に成長があります。

このように考えると、「勉めを強いる」という行為があり、その行為が現在の「勉強」につながっていると解釈できます。

そう考えると、勉強は「したい」「したくない」、「好き」「嫌い」、「楽しい」「楽しくない」と判断するものではありません。
まず、人が生きていくために、勉めを強いる行為が必要なのです。

もし自分に必要な努力をすることができなければ、周りに迷惑をかけてしまうことがあります。集団の中で役割を果たせず、場合によっては邪魔者扱いされてしまうかもしれません。そうならないためにも、人は生まれてから成長していく過程で、勉めを強いることを学んでいく必要があります。

では、「勉強が楽しい」とはどういうことでしょうか。

それは、どうせ勉めを強いる必要があるのなら、そのやり方を工夫して楽しめるようにすることだと思います。
例えば、ゲーム性を持たせる。友達と協力する。目標を小さく分ける。できたことを認め合う。そうした工夫によって、勉強はただ苦しいものではなく、前向きに取り組めるものになります。

さらに考えると、日本の法律には、子どもには教育を受ける権利があり、保護者には教育を受けさせる義務があります。また、義務教育という制度もあります。
つまり、少なくとも義務教育の期間においては、子どもが学び、成長するために「勉めを強いる」ことは社会全体の前提になっているとも言えます。

現在の子どもたち、「勉強をやりたい」「やりたくない」と言うことがあります。
勉強は本人の気分で決めるものではありません。
人が社会の中で生きていくために、必要な力を身につける行為です。

だから私たち大人が考えるべきことは、子どもにただ「勉強しなさい」と言うことではありません。
そもそも「勉強」とは何なのか?なぜ学ぶ必要があるのか?を伝え、努力することの意味を教え、そして勉めを強いる過程を少しでも前向きにできるよう支えることではないでしょうか。

勉強とは、自分を成長させるために必要な負荷を受け入れること。
そして、昨日より今日の自分を少しでも良くしていくための営みなのだと思います。

「塩梅(あんばい)」という知恵

子どもたちによく話す言葉があります。

「塩梅を考えなさい。」

今では「あんばい」という言葉を耳にする機会も少なくなりましたが、とても日本らしい、美しい言葉です。

料理では、塩が多すぎても少なすぎても美味しくありません。

だから「塩梅」。

ちょうどよい加減を意味する言葉です。

この「ちょうどよい」は、人との関わりにも当てはまります。

冗談は楽しいものです。

みんなで笑い合える時間は、とても大切です。

でも、笑っているのが自分だけで、相手が笑えなくなったら、それはもう冗談ではありません。

あだ名も同じです。

親しみを込めて呼び合うことは、仲の良い証でもあります。

しかし、相手が嫌だと感じた瞬間から、それは親しみではなく苦しみになります。

ちょっかいを出し合うことも、子ども同士の楽しい遊びです。

ところが、やり過ぎれば喧嘩になります。

だから私は子どもたちに伝えます。

「塩梅を考えよう。」

行き過ぎないこと。

やり過ぎないこと。

そして何より、相手の表情や様子をよく見ること。

「今、相手は楽しそうかな。」

「嫌な顔をしていないかな。」

そんなことを考えられる人は、人に優しくなれます。

さらに大切なのは、自分自身を少し離れたところから見ることです。

自分では「これくらい大丈夫」と思っていても、周りから見ると行き過ぎていることがあります。

自分を俯瞰して見られる人は、自然と塩梅の良い人になっていきます。

この「塩梅」は、人間関係だけではありません。

子育てもそうです。

厳しすぎても苦しくなり、甘やかしすぎても育ちません。

植物も、水を与えすぎれば根が腐り、少なすぎれば枯れてしまいます。

どちらも「ちょうどよい加減」があります。

その「ちょうどよい」は、毎日同じではありません。

相手を見て、その日の様子を見て、臨機応変に変えていく。

これこそが昔から日本人が大切にしてきた「中庸」の考え方なのだと思います。

人生には、正解が一つしかない場面よりも、「塩梅」が問われる場面の方が、ずっと多いのです。

だからこそ、知識だけでなく、「加減のわかる人」を育てたい。

それが、人と気持ちよく生きていくための、本当の学びなのではないでしょうか。

戯れ!いたずら!遊び!・・・について考えてみる

子どもが「いたずら」をすると、大人は「こら!」と叱ります。

でも、ふと思いました。

「いたずら」って、どうして「悪戯」と書くのでしょう。

「戯」という字には、本来「遊ぶ」「心を遊ばせる」という意味があります。

子どもが笑いながら遊ぶ姿も、子猫がじゃれ合う姿も「戯れる」。

そこには悪意はありません。

ところが、「悪」という字が付くと「悪戯」。

遊びが、人を困らせる方向へ向かった瞬間です。

一方、日本にはこんな言葉もあります。

「趣がある」
「洒落ている」
「風流だ」

これらも、実は「遊び心」から生まれた言葉です。

趣とは、時間が育てた味わいを楽しむ心。

洒落とは、言葉や装いに知性を添える遊び心。

風流とは、季節や自然を慈しみ、心を豊かにする生き方。

同じ「遊び」でも、その行き先は大きく違います。

人を困らせる遊びは「悪戯」。

人を笑顔にする遊びは「洒落」。

自然や季節を楽しむ遊びは「風流」。

日本語は、その違いをきちんと言葉で教えてくれています。

子どもたちには、遊ぶことをやめてほしいのではありません。

どうせ遊ぶなら、人が笑顔になる遊びを覚えてほしい。

心が豊かになる遊びを知ってほしい。

そんな遊びができる人は、大人になっても周りの人を幸せにできるからです。


「戯」という漢字

「戯(たわむ・れる/ぎ)」は、

本気ではなく、心に余裕をもって遊ぶこと

が本来の意味です。

決して「悪いこと」を意味する漢字ではありません。

そこから様々な言葉が生まれました。


悪戯(いたずら)

「悪」と付いたことで、

相手に迷惑や困りごとを与える遊び

という意味になります。

  • 子どもの悪戯
  • 悪戯電話
  • 悪戯書き

しかし昔は今ほど悪い意味ではなく、

「少し困らせる程度の遊び」

くらいの意味でした。


戯れ(たわむれ)

こちらは「悪」がありません。

つまり

心を遊ばせること

です。

例えば

  • 子猫が戯れる
  • 春風と戯れる
  • 子どもが波と戯れる

自然や人との穏やかな触れ合いを表します。

文学では恋愛にも使われます。


ふざける

語源は

巫山戯る(ふざける)

と言われています。

「巫山」は中国の山の名前。

神秘的で夢幻的な世界を表し、

そこから

「現実離れした振る舞い」

という意味になりました。

現在では

  • 冗談を言う
  • 真面目にしない

という意味で使われます。


趣(おもむき)がある

趣とは

物事の奥にある味わい

です。

派手さではありません。

例えば

  • 古民家
  • 苔むした庭
  • 古い神社

などを見て

「趣がある」

と言います。

時間が育てた美しさです。


洒落ている

「洒落」は

洗練されていて気が利いていること

です。

例えば

  • 洒落たカフェ
  • 洒落た服装
  • 洒落た言い回し

また

「しゃれ(駄洒落)」も同じ語源です。

言葉で遊ぶことも「洒落」なのです。


風流(ふうりゅう)

これは日本人がとても大切にしてきた感覚です。

風流とは

自然や季節を楽しむ心

です。

例えば

  • 月を見る
  • 蛍を見る
  • 雨音を楽しむ
  • 茶を飲む
  • 花を愛でる

利益とは関係ありません。

心が豊かになる時間です。


面白い共通点

これらの言葉には

「遊び」

という共通点があります。

しかし、

遊びにも段階があります。

言葉遊びの質
悪戯人を困らせる遊び
戯れ心を遊ばせる
ふざける真面目さを崩す
洒落知性で遊ぶ
心で味わう
風流人生そのものを楽しむ

【考 察】

日本人は昔から「遊び」を単なる娯楽とは考えていませんでした。

仕事ばかりでもなく、勉強ばかりでもなく、人生には余白が必要だと知っていたのです。

その余白が、言葉では「戯れ」となり、美意識では「趣」となり、感性では「風流」となり、知性では「洒落」となりました。

一方で、その余白が相手を傷つける方向へ向かえば「悪戯」と呼ばれ、場をわきまえず真面目さを欠けば「ふざける」と言われます。

つまり違いは、「遊ぶ」という行為そのものではなく、その遊びが誰かを豊かにするか、困らせるかにあります。

古人は「遊び」を否定したのではなく、その質を見極めようとしてきたのでしょう。

柏の葉学園の先生の愛情

先日、公園での活動中の一枚です。

子どもたちは橋の向こうに集まり、何かを見ています。

その少し後ろから、先生がそっとカメラを向けています。

この写真を見ていると、ふと思います。

先生の仕事は、

子どもを管理することではなく、

子どもの成長を見守ることなのだと。

子どもたちは毎日少しずつ成長しています。

友達と話せるようになった。

順番を待てるようになった。

最後まで頑張れるようになった。

でも、その成長はとても小さく、

忙しい毎日の中では見逃してしまうこともあります。

だから先生たちは見ています。

子どもたちが何に興味を持ったのか。

どんな表情をしたのか。

どんな言葉を話したのか。

どんな小さな成功があったのか。

写真を撮るのも、

記録を書くのも、

その一瞬一瞬を大切にしたいからです。

愛情とは、

何でもしてあげることではありません。

愛情とは、

その子の成長を信じて待つこと。

困った時には支え、

頑張った時には一緒に喜び、

失敗した時にはもう一度挑戦できるよう背中を押すことです。

柏の葉学園の先生たちは、

子どもたちの「今」だけを見ているのではありません。

その先の未来も見ています。

数年後、

大人になった時、

社会に出た時、

自分の力で歩いていけるように。

そんな願いを込めながら、

今日も子どもたちの後ろから、

そっと成長を見守っています。

目立たなくてもいい。

主役は子どもたちだから。

先生たちは今日も、

一歩後ろから応援しています。