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「みんなのために」という言葉の怖さ

先日の支援中、少し考えさせられる出来事がありました。

その日の工作活動の課題は、

「グループのみんなで協力して、一つのテントを作る」というもの。

新聞紙を丸めて細長い棒を作り、それを組み合わせながらテントの形にしていきます。

実は、この活動を行うのは今回が2回目でした。(写真:1回目のチャレンジ!の様子)

前回は比較的年齢の低い子どもたちが多く、こちらが想定していたところまで作品を完成させることができませんでした。

しかし今回は中高生の参加も多く、年齢も経験も上がっています。

「どう組み立てたら丈夫になるのか」
「どんな形にしたらテントになるのか」
「誰がどの作業を担当するのか」

子どもたちなりに相談し、工夫しながら作品を作る姿が見られるのではないかと期待していました。

実際、活動を始めると、それぞれのグループの中に自然と中心となる子が現れました。

「ここを押さえて」
「テープで止めよう」
「三角にした方がいいんじゃない?」

子どもたち同士で声を掛け合いながら、作業は進んでいきました。

ところが、一つのグループの中で、明らかに他の子たちとは違う動きをしている子がいました。

ここでは、その子をA君とします。

一人だけ違うものを作り続けるA君

材料には限りがあります。

そして、グループで作るものは「テント」と決まっています。

それにもかかわらず、A君はグループの作業から離れ、一人で別のものを作っていました。

大人から見ても、「今それをやる場面ではないな」と分かる状況です。

もちろん、大人が、「A君、みんなと一緒にやろう」と言ってしまえば簡単です。

しかし、今回の活動の目的は、単にテントを完成させることではありませんでした。

友達と相談すること。
自分と違う考えを受け入れること。
役割を分担すること。
困ったときに子ども同士で解決すること。

それも大切な目的でした。

そこで、すぐには大人が介入せず、子どもたちがどのように関わるのかを見守ることにしました。

仲間たちはA君に何度も声を掛けます。

「こっちで一緒にやろう」
「ここ押さえてて」
「テープで止めて」
「一緒に三角を作ろう」
「こっちにおいでよ」

かなり根気よく誘っていました。

それでもA君は応じません。

自分の作業を続けます。

やがて、普段はとても穏やかで、優しい性格の女の子が、とうとう言いました。

「じゃあ、一人でやってな。」

A君は泣き始め、グループの輪から外れてしまいました。

「みんなのためにやってたのに」

ここで職員が介入しました。

A君に話を聞くと、返ってきた言葉が、

「みんなのためにやってたのに……」でした。

この言葉を聞いて、私は考えました。

「みんなのために」という気持ちそのものは、決して悪いものではありません。

むしろ、人の役に立ちたいと思うことは大切です。

しかし問題は、

本人が思っている「みんなのため」と、実際に周囲が必要としていることが一致していない

ということでした。

グループのみんなは、一緒にテントを作ろうとしていました。

何度もA君を誘っていました。

それでもA君は仲間の声を聞かず、自分が作りたいものを作っていた。

本人の中では「みんなのため」だったのかもしれません。

しかし、外から見れば結果として、

「みんなのため」という言葉の陰で、自分のやりたいことをやっている

状態になっていました。

ここがとても重要だと思います。

「気持ちが良ければ、行動も正しい」のか

職員は、A君と一緒に状況を整理して!考えて!そして伝えました。

「みんなのために何かをしようと思った気持ちは、とても大切だよ」

そのうえで、「でも今回は、やり方が少し違ってしまったね」と。

善意があれば、何をしても許されるわけではありません。

「助けようと思った」
「良かれと思った」
「みんなのためだった」

こうした言葉は、とても強い言葉です。

なぜなら、自分の行動を正当化できてしまうからです。

しかし大切なのは、

を見ることです。

人との関係の中では、自分の気持ちだけで物事は決まりません。

謝ることにも練習が必要

話し合いの中で、

「じゃあ、こんなときはどうしたらいいと思う?」

と聞くと、A君から、「謝る」という答えが出ました。

そこで、「A君がみんなのためにやろうと思っていた気持ちは伝えて、そのうえで謝ろう」ということになりました。

しかし、ここからも簡単ではありませんでした。

A君はなかなか謝ることができません。

時間だけが過ぎていきます。

周囲の子どもたちも待っています。

ようやく気持ちが整ってくると、今度は、「相手の子をこっちに連れてきて」と言います。

そこでまた伝えました。

謝りたいのはこちら側です。

それなら、自分から相手のところへ行く必要があります。

もしどうしても来てもらいたいのであれば、「こっちに来てもらってもいい?」とお願いする。

謝る場面でも、自分の都合で相手を動かすのではなく、相手の立場を考えることが必要です。

これもまた、大切な学びだと思います。

「嫌だった」のは誰だったのか

ようやく場面が整ったと思ったところで、A君は言いました。

「みんなのためにやったのに、怒られて嫌だった」と。

ここでも、もう一度立ち止まりました。

確かにA君も嫌な思いをしたでしょう。

しかし、嫌な思いをしたのはA君だけでしょうか。

仲間たちは何度も誘っていました。
一緒にやろうと声を掛け続けていました。
それでも応じてもらえなかった。
限られた材料も使われていました。
グループ活動の時間も過ぎていきました。

つまり、困っていたのはA君だけではありません。

自分の「嫌だった」という気持ちだけでなく、相手にも気持ちがある。

そこまで考えなければ、本当の意味で人と一緒に過ごすことはできません。

何度かやり取りを重ね、最後にはA君も謝ることができ、相手の子とも仲直りすることができました。

「みんなのために」が免罪符になってはいけない

今回の出来事で、改めて感じたのが、

「みんなのために」という言葉の怖さです。

「みんなのためにやった」
「あなたのためを思ってやった」
「良かれと思ってやった」

こうした言葉は、使い方を間違えると、自分の行動を正当化するための免罪符になってしまいます。

本当に「みんなのため」になっているかどうかを決めるのは、自分一人ではありません。

周囲の状況を見る。
相手の話を聞く。
必要とされていることを考える。
自分の考えと違っていても調整する。

それらがあって初めて、「みんなのための行動」になります。

「納得するまで」・・・では学べないことがある

支援の現場では、「本人が納得することを大切にしてください」という考え方を耳にすることがあります。

もちろん、本人の気持ちを無視して大人の言うことだけを押し付けるべきではありません。

しかし一方で、まだ物事の分別や社会的なルールを十分に理解できていない子どもに対して、

「本人が納得するまで何も進めない」ことが、本当にその子のためになるのかは考える必要があります。

子どもにとっての「納得」が、「自分の思い通りになった(思いが叶った)」ことになってしまうからです。

だからこそ、大人が教えなければならないことがあります。

「あなたはそう思ったんだね」と気持ちは受け止める。

しかし、「でも、この行動は相手を困らせているよ」という事実も伝える。

気持ちを認めることと、行動を認めることは別です。

大人が何でも肯定してしまう怖さ

子どもが泣いた。怒った。納得しない。

だから大人が、「そうだよね。あなたは悪くないよ」と終わらせてしまったら、子どもは何を学ぶでしょうか。

もしかすると、
「自分がそう思ったのだから、自分は正しい」
「泣けば自分の主張が通る」
「相手が困っていても、自分に悪気がなければ問題ない」

と学んでしまう・・・かもしれません。

そして、それはその場では楽かもしれません。

しかし将来、友人関係、学校、職場、社会の中で困るのは本人です。

子どもの気持ちを大切にすることと、何でも肯定することは違います。

時には、「あなたの気持ちは分かる。でも、それはやってはいけない」と伝えることも、大人の大切な役割です。

子どもは、大人の関わり方から学んでいく

「子は親の鏡」という言葉があります。

私は、これは単純に「親が・・・」「家庭が・・・」という話ではないと思っています。

子どもが人との関わり方を学ぶうえで、身近な大人の影響が非常に大きいということ!
とも解釈できると思います。

間違ったときにどうするのか。
人を傷つけたときにどうするのか。
自分の思い通りにならなかったときにどうするのか。
相手の立場をどう考えるのか。

子どもは、日々の大人との関わりの中で少しずつ学んでいきます。

だからこそ、何でも子どもの主張を通すことが「尊重」なのではありません。

社会の中で他者と生きていくための基準を伝えることも、子どもを大切にすることの一つです。

本当の「みんなのため」とは

今回のA君には、「みんなのために何かをしたい」という気持ちがありました。

私は、その気持ちは大切にしてほしいと思っています。

だからこそ、「みんなのために何かをしたいなら、まずみんなを見る」ことを覚えてほしい。

みんなは何をしているのか。
何を困っているのか。
自分に何を求めているのか。
自分の考えを伝えたとき、相手はどう思っているのか。

それを考えたうえで行動できるようになったとき、

という言葉は初めて、本当の意味を持つのではないでしょうか。

善意だけでは、人間関係はうまくいきません。

しかし、今回のような失敗を一つずつ経験し、大人と一緒に整理することで、子どもは少しずつ学ぶことができます。

失敗をさせないことよりも、

失敗したときに、何が起きたのかを一緒に考える。
自分だけでなく、相手の気持ちにも目を向ける。
そして次にどうすればいいのかを考える。

その積み重ねこそが、支援なのだと思います。

「みんなのために」。
とても優しい言葉です。

だからこそ、その言葉だけで行動を正当化してはいけない。

「みんなのために」と言える人ではなく、本当に周囲を見て行動できる人になってほしい。

今回の出来事を通して、改めてそう感じました。