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朝、目が覚める。

蛇口をひねれば、水が出る。

冷蔵庫を開ければ、何か食べるものがある。

服を着て、学校へ行く。
仕事へ行く。
電車に乗る。
誰かと話す。

私たちは、そんな毎日を「普通」と呼んでいます。

でも、本当にそれは普通なのでしょうか。

日本は、とても豊かな国になりました。

物があふれ、欲しいものの多くは手に入り、便利なサービスに囲まれています。

欲しいものを選べる。
食べたいものを選べる。
行きたい場所を選べる。

あまりにも多くのものがあるからこそ、私たちはいつの間にか、「あること」のありがたさを忘れてしまったのかもしれません。

「ありがとう」という言葉があります。

その言葉のもとになった「有り難い」という言葉には、

「あることが難しい」

という意味があります。

そこにあることが、決して当たり前ではない。

だから、人は感謝した。

だから、「ありがとう」と言った。

けれど今、私たちはどうでしょう。

あることよりも、ないことを数えてしまう。

足りないものを探し、
人と比べ、
もっと欲しいと思い、
もっと便利に、
もっと快適にと願う。

もちろん、それが悪いわけではありません・・・。

人はより良い暮らしを求めてきたからこそ、社会をここまで発展させてきました。

ただ、その豊かさの中で、一つだけ失ってはいけないものがあると思うのです。

それは、

「ありがたい」と感じる心です。

たとえば、学校。

日本では、多くの子どもたちが毎朝、当たり前のように学校へ向かいます。

時には、

「今日は行きたくない」

と思うこともあるでしょう。

勉強したくない。
面倒くさい。
もっと寝ていたい。

そんな日もあります。

でも世界に目を向ければ、

「行きたいか、行きたくないか」を考えることすらできない子どもたちがいます。

学校へ行きたい。

文字を学びたい。

友達と机を並べたい。

将来の夢を持ちたい。

そう願っていても、貧困や紛争、家庭の事情や地域の環境によって、学ぶ場所にたどり着けない子どもたちがいます。

その子たちにとって、

「学校に行ける」

ということは、きっと一つの希望です。

私たちが「面倒だ」と思う一日を、

心の底から欲しいと願っている人がいる。

そう考えると、少しだけ見える景色が変わります。

これは学校だけではありません。

今日、温かいご飯を食べられること。

安心して眠れる場所があること。

電気がつくこと。

水が飲めること。

病気になったとき、病院へ行けること。

話せる家族がいること。

名前を呼んでくれる人がいること。

そして、

明日の予定を考えられること。

私たちはいつも、

「好きか、嫌いか」

「やりたいか、やりたくないか」

「行きたいか、行きたくないか」

で物事を考えます。

でも、そのもっと手前に、

忘れてはいけない問いがあるのではないでしょうか。

「それができること自体、ありがたいことではないだろうか」

仕事が大変だと思えるのも、働く場所があるから。

勉強が嫌だと思えるのも、学べる環境があるから。

今日のご飯に文句を言えるのも、食べるものがあるから。

家族とけんかができるのも、そこに相手がいるから。

もちろん、苦しいことを無理に感謝する必要はありません。

つらいものは、つらい。

悲しいものは、悲しい。

耐えなくていい苦しみまで、「ありがたい」と思う必要はありません。

それでも、

何でもない日にふと立ち止まり、

今、自分の周りにあるものを数えてみる。

それだけで、心の景色は少し変わるような気がします。

人は不思議なもので、

持っていないものにはすぐ気づくのに、

持っているものには、なかなか気づきません。

失って初めて、その大切さを知ることがあります。

いつもそばにいた人。

元気だった体。

何気ない日常。

普通に交わしていた「おはよう」。

当たり前だったものが突然なくなったとき、

私たちは初めて、

「あれは当たり前じゃなかったんだ」

と知ります。

だからこそ、失う前に気づきたい。

今日があること。

家族がいること。

帰る場所があること。

誰かと食卓を囲めること。

学べること。

働けること。

笑えること。

泣けること。

挑戦できること。

やり直せること。

どれも、本当は「有り難い」ことなのだと思います。

本当の豊かさとは、

高価なものを持つこと・・・ではありません。

大きな家に住むこと・・・でも、

たくさんのお金を持つこと・・・でもありません。

もしかすると本当の豊かさとは、

自分がすでに受け取っているものに、

気づける心を持つことなのかもしれません。

「まだ足りない」と思い続ければ、

どれだけ手に入れても、心は満たされません。

でも、

「こんなにもある」

と気づくことができたなら、

同じ景色の中にも、たくさんの幸せが見えてきます。

日本は豊かになりました。

だからこそ、

豊かさに慣れすぎてはいけないのだと思います。

便利なことを当たり前にしない。

平和を当たり前にしない。

食べられることを当たり前にしない。

学べることを当たり前にしない。

誰かがそばにいることを当たり前にしない。

今日という一日を、当たり前にしない。

朝、目が覚める。

蛇口をひねれば、水が出る。

ご飯を食べる。

誰かに「おはよう」と言う。

いつもと同じ一日。

けれど、その「いつもと同じ」の中に、

本当は数え切れないほどの奇跡があります。

ありがとう。

この言葉は、何か特別なことをしてもらったときだけに使う言葉ではないのかもしれません。

今日も一日を迎えられたことに。

支えてくれる人に。

自分が今持っているものに。

そして、

何気なく過ぎていく、この日常そのものに。

「ありがとう」と言える人でありたい。

豊かさとは、

たくさん持っていることではなく、

すでに与えられているものの尊さに気づけること。

「足りない」を数える人生より、

「ありがたい」を数える人生を。

私たちは、豊かになりすぎたからこそ、

もう一度、「有り難い」という言葉の意味を思い出す時なのだと思います。