「観察」について色々考えてみました
子どもたちの成長に係る仕事をしている私たちは
「観察」
とても大切なことだと考えています。
子どもたちの些細な行動や発言、顔色、服装・・・そこから子どもたちの状況を読み取ることができます。
「観察」とはどういうことなのか改めて考え、探求してみました。
1. 「観」の成り立ちと意味
「観」は旧字体で 觀 と書きます。
字源的には、左側の 雚 と、右側の 見 から成る字です。「見」は目で見ることに関わる字で、「観」は「よく見る」「注意して見る」「物事の様子を見る」といった意味を持ちます。漢字辞典では、「観」は「みる/よく見る/注意して見る/様子/姿/外見」などの意味を持つ字と説明されています。(漢字辞典オンライン)
ここで大切なのは、「観」はただ視界に入れるだけの「見る」ではなく、距離を取り、全体を眺め、意味を読み取ろうとする見るに近いことです。
たとえば、
「見る」は、目に入る。
「観る」は、心を向けて見る。
「観」は、対象の姿だけでなく、あり方・流れ・本質まで見ようとする。
そのため「観」には、外側から眺めるだけでなく、物事の全体像をとらえる視線が含まれています。
2. 「察」の成り立ちと意味
「察」は、宀 と 祭 から成る字とされます。漢検系の辞典では、「宀」と音符の「祭」から成り、「おおわれているものを取って明らかにする意」を表すと説明されています。(漢字辞典)
「察」には、「明らかにする」「知る」「詳しく見る」「よく考える」「推測する」「思いやる」といった意味があります。(OK辞典)
つまり「察」は、目に見えるものだけで終わらず、見えにくいものを感じ取り、推し量り、理解しようとする働きです。
たとえば、
表情を見て、気持ちを察する。
状況を見て、事情を察する。
小さな変化から、原因を察する。
「察」は、見えないものを勝手に決めつけることではありません。見えている手がかりから、慎重に奥を探ることです。
3. 「観察」とは何か
「観」と「察」を合わせると、観察とは、
対象をよく見て、そこに現れている状態や変化をとらえ、さらに見えにくい原因・意味・関係を明らかにしようとする営み
だと言えます。
国語辞典でも「観察」は、「物事の状態や変化を客観的に注意深く見ること」と説明されています。また仏教語としては、「智慧によって対象を正しく見極めること」という意味もあります。(コトバンク)
ここから考えると、観察には二つの方向があります。
一つは、外に向かう観察です。自然、社会、人間、物事の動きをよく見ることです。
もう一つは、内に向かう観察です。自分の感情、思考、先入観、反応をよく見ることです。
4. 科学としての観察
科学における観察は、主観をできるだけ抑え、対象の状態や変化を丁寧に記録することです。
たとえば植物を観察するとき、「元気そう」とだけ書くのでは不十分です。
葉の色はどうか。
茎の長さは何センチか。
昨日と比べて何が変わったか。
日光、水、温度との関係はどうか。
科学的な観察では、印象ではなく、事実・変化・条件・比較が大切になります。
ただし、科学的観察も完全に中立ではありません。何を見るか、どこに注目するかは、観察者の問いによって変わります。つまり観察とは、ただ受け身で見ることではなく、問いを持って見ることでもあります。
5. 人間関係としての観察
人間関係における観察は、相手を評価するためではなく、相手を理解するためにあります。
相手の言葉だけでなく、沈黙、表情、声の調子、間の取り方、態度の変化を見る。そこから「何を感じているのか」「何に困っているのか」を察する。
ここでは「観」だけでは足りません。外側の様子を見るだけなら、相手を表面的に判断してしまうことがあります。そこに「察」が加わることで、相手の立場や背景を思いやる理解になります。
ただし、察しすぎにも注意が必要です。
「きっとこう思っているに違いない」と決めつけると、それは観察ではなく思い込みになります。人間関係における観察は、相手をよく見ることと、断定しすぎないことの両方が必要です。
6. 自己理解としての観察
観察は外の世界だけでなく、自分自身にも向けられます。
なぜ今、腹が立ったのか。
なぜこの言葉に傷ついたのか。
なぜ同じ失敗を繰り返すのか。
なぜこの人の前では緊張するのか。
自分を観察するとは、自分を責めることではありません。自分の心の動きを、少し距離を置いて見ることです。
この意味で観察は、自己成長の出発点になります。なぜなら、人は自分が気づいていない癖を変えることは難しいからです。まず気づく。次に理解する。そして少しずつ選び直す。観察はその最初にあります。
7. 哲学的に見る「観察」
哲学的に考えると、観察は「世界をそのまま見ること」であると同時に、「自分の見方を通して世界を見ること」でもあります。
同じ景色を見ても、人によって感じることは違います。
農家は土や天気を見る。
画家は光や色を見る。
医師は顔色や姿勢を見る。
子どもは遊び場を見る。
旅人は珍しさを見る。
つまり、観察には必ず「視点」があります。
だからこそ、本当に深い観察には、二つの姿勢が必要です。
一つは、対象を丁寧に見ること。
もう一つは、自分の見方が偏っていないかを疑うこと。
観察とは、世界を見る行為であると同時に、自分のまなざしを問い直す行為でもあります。
8. 「観察」と「観測」「監視」「考察」の違い
「観察」は、対象を注意深く見て、状態や変化を理解しようとすることです。
「観測」は、より数値的・測定的です。天気、地震、天体などを測るときによく使います。
「監視」は、異常や違反がないかを見張る意味が強くなります。対象との関係に緊張があります。
「考察」は、観察したことをもとに考え、意味や原因を深めることです。
つまり、
観察は、よく見る。
観測は、測って見る。
監視は、見張る。
考察は、見たことを考える。
この中で「観察」は、見ることと考えることの中間にあります。見て終わりではなく、考察へ向かう入口です。
「観察」とは、目で見るだけの行為ではありません。
観は、全体をよく見ること。
察は、見えにくいものを明らかにしようとすること。
したがって観察とは、
目に見える事実を丁寧にとらえ、そこから見えない関係・変化・意味を慎重に理解しようとすること
です。
さらに言えば、観察とは「対象を知る技術」であり、「思い込みを減らす訓練」であり、「世界と自分へのまなざしを深める態度」でもあります。
よく観る人は、すぐに決めつけません。
よく察する人は、見えないものを乱暴に断定しません。
本当の観察とは、注意深さと謙虚さをもって、物事に近づくことだと思います。