戯れ!いたずら!遊び!・・・について考えてみる
子どもが「いたずら」をすると、大人は「こら!」と叱ります。
でも、ふと思いました。
「いたずら」って、どうして「悪戯」と書くのでしょう。
「戯」という字には、本来「遊ぶ」「心を遊ばせる」という意味があります。
子どもが笑いながら遊ぶ姿も、子猫がじゃれ合う姿も「戯れる」。
そこには悪意はありません。
ところが、「悪」という字が付くと「悪戯」。
遊びが、人を困らせる方向へ向かった瞬間です。
一方、日本にはこんな言葉もあります。
「趣がある」
「洒落ている」
「風流だ」
これらも、実は「遊び心」から生まれた言葉です。
趣とは、時間が育てた味わいを楽しむ心。
洒落とは、言葉や装いに知性を添える遊び心。
風流とは、季節や自然を慈しみ、心を豊かにする生き方。
同じ「遊び」でも、その行き先は大きく違います。
人を困らせる遊びは「悪戯」。
人を笑顔にする遊びは「洒落」。
自然や季節を楽しむ遊びは「風流」。
日本語は、その違いをきちんと言葉で教えてくれています。
子どもたちには、遊ぶことをやめてほしいのではありません。
どうせ遊ぶなら、人が笑顔になる遊びを覚えてほしい。
心が豊かになる遊びを知ってほしい。
そんな遊びができる人は、大人になっても周りの人を幸せにできるからです。
「戯」という漢字
「戯(たわむ・れる/ぎ)」は、
本気ではなく、心に余裕をもって遊ぶこと
が本来の意味です。
決して「悪いこと」を意味する漢字ではありません。
そこから様々な言葉が生まれました。
悪戯(いたずら)
「悪」と付いたことで、
相手に迷惑や困りごとを与える遊び
という意味になります。
例
- 子どもの悪戯
- 悪戯電話
- 悪戯書き
しかし昔は今ほど悪い意味ではなく、
「少し困らせる程度の遊び」
くらいの意味でした。
戯れ(たわむれ)
こちらは「悪」がありません。
つまり
心を遊ばせること
です。
例えば
- 子猫が戯れる
- 春風と戯れる
- 子どもが波と戯れる
自然や人との穏やかな触れ合いを表します。
文学では恋愛にも使われます。
ふざける
語源は
巫山戯る(ふざける)
と言われています。
「巫山」は中国の山の名前。
神秘的で夢幻的な世界を表し、
そこから
「現実離れした振る舞い」
という意味になりました。
現在では
- 冗談を言う
- 真面目にしない
という意味で使われます。
趣(おもむき)がある
趣とは
物事の奥にある味わい
です。
派手さではありません。
例えば
- 古民家
- 苔むした庭
- 古い神社
などを見て
「趣がある」
と言います。
時間が育てた美しさです。
洒落ている
「洒落」は
洗練されていて気が利いていること
です。
例えば
- 洒落たカフェ
- 洒落た服装
- 洒落た言い回し
また
「しゃれ(駄洒落)」も同じ語源です。
言葉で遊ぶことも「洒落」なのです。
風流(ふうりゅう)
これは日本人がとても大切にしてきた感覚です。
風流とは
自然や季節を楽しむ心
です。
例えば
- 月を見る
- 蛍を見る
- 雨音を楽しむ
- 茶を飲む
- 花を愛でる
利益とは関係ありません。
心が豊かになる時間です。
面白い共通点
これらの言葉には
「遊び」
という共通点があります。
しかし、
遊びにも段階があります。
| 言葉 | 遊びの質 |
|---|---|
| 悪戯 | 人を困らせる遊び |
| 戯れ | 心を遊ばせる |
| ふざける | 真面目さを崩す |
| 洒落 | 知性で遊ぶ |
| 趣 | 心で味わう |
| 風流 | 人生そのものを楽しむ |
【考 察】
日本人は昔から「遊び」を単なる娯楽とは考えていませんでした。
仕事ばかりでもなく、勉強ばかりでもなく、人生には余白が必要だと知っていたのです。
その余白が、言葉では「戯れ」となり、美意識では「趣」となり、感性では「風流」となり、知性では「洒落」となりました。
一方で、その余白が相手を傷つける方向へ向かえば「悪戯」と呼ばれ、場をわきまえず真面目さを欠けば「ふざける」と言われます。
つまり違いは、「遊ぶ」という行為そのものではなく、その遊びが誰かを豊かにするか、困らせるかにあります。
古人は「遊び」を否定したのではなく、その質を見極めようとしてきたのでしょう。