昭和・平成・令和を生きて齢80を迎え思うこと②

つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるおしけれ。

兼好法師も、こんな気持ちで!こんな感じで!記していたのでしょうか?
子どもたちの成長に携わり「教え育てる」ことが私の生業。
教え育てる現場に立ち続けて昭和・平成・令和を見てきました。
世の中が変りました。
本当に変わりました。

そして・・・、

私も齢80を迎えて、
感じることをそこはかとなく記していきたいと思うようになりました。

最近子どもたちの元気な声が聞こえないわねぇ。
子どもたちの遊び場が損なわれてきていないかしら?

そうそう、つい先日も、
「子どもの声がうるさい」と大人の発言により公園がなくなってしまうというニュースを見たわ。
もちろん賛否両論あって、報道の仕方にも問題はあることは事実ね。
でも、現に大人の声で子どもたちの遊ぶ公園がなくなってしまうのは事実よ。

今の日本では、こんな出来事がいたるところで発生しているのよ。
子どもたちが写生したり遊んだりする!
私たちの目を楽しませてくれる!
季節の訪れを教えてくれる!
イチョウの木。
本当に今の時期は綺麗よね。
それが、「落ち葉の掃除が大変」「掃除をするのにもごみ袋や軍手等お金がかかる」「公害だ」との大人声で、美しいイチョウの木が切られちゃうのよ。私の住んでいる町のイチョウも枝が切られてしまったわ。
本当に言葉も出ない。どうにかならないのかしら。

私たちも落ち葉で遊んで育ってきたのに。
騒ぎすぎたり、よそ様にご迷惑をおかけしたりした時などは、ご近所のこわいおばさんやおじさんに怒られたりしなかった?罰として、一緒に町内の落ち葉掃除をしたりしてね。
あの時は、怒られるのがこわかったけど、今になると分かるわね。
どんなにかわいがられていたのかって。

今の日本にそんなあたたかな関係って残っているのかしら?
私はなくなってしまったのではないか?と感じてしまうわ。
ちょっと大きな声を出せば虐待、よそ様のお子さんに注意をしたら不適切、昭和の時代にあった「おやじの拳骨」なんてものはもってのほかよね。
こんな時代に、誰が子どもたちと関わろうなんて思うかしら。

こうやって、子どもたちは「遊び場」も「学ぶ機会」も損なわれてきているのよ。

確かに痛ましい事件が起きているわね。
大人によって。

そんな大人に育てたのは、教育、国、私たち周囲の人間の責任よ。
先日も触れさせていただいたわ。「日本国憲法」「教育基本法」と。
今日は改めて「児童憲章」に触れてみるわ。

■児童憲章
われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。
一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもつて育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整つた教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによつて結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。  

ちゃんと記されているじゃないの。
前文によ!
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。

大人は、教育者は、子どもたちの成長に携わる仕事をしている人たちは、
子どもたちに「良いこと」「悪いこと」を教えているのかしら。
過ちを犯した子どもたちの行為は見過ごされていないかしら?
集団でいる時は自身の欲求を通すことより周りと協調することの大切さを伝えているのかしら?
喜怒哀楽という感情を適切に使った教育や支援はされているのかしら?
規則正しい生活習慣が身につくような環境で育てられているのかしら?

私は今も教育・福祉の現場にいるのだけれど、
今や現場は、待の通報や不適切と言われることに怯えて、迎合する教育や支援がなされているわ。
だから子どもたちは、何も知らないまま大人になって、知らないから痛ましい事件を起こしてしまうのではないかしら。そんな負の連鎖が続いている・・・。いや、このままではこれからも続いていく・・・。

子どもたちは適切なタイミングで適切な教育・支援が必要なのよ。
だから、教育の第一義的責任を有する保護者は「親」と言われるのよ。
「親」という文字は、木の上に立って見ると書く。
しっかり気を張って子供たちの成長を見守る。そして、適切なタイミングで適切な教育をするの。

最近トイレトレーニングができないという相談をよくされるわ。
話を聞いてみると、家では常にオムツ。
理由は、忙しいから、共働きだから、漏らした後の始末が大変だから、兄弟姉妹がいるから・・・。と。
(あら?全て大人側から見た理由じゃない。)
そうよ、練習しなくちゃできるわけないじゃないの。
パンツでおしっこを漏らした後の濡れて気持ちの悪い感覚も知らないで、トイレでおしっこができた時の気持ちよさも知らないで・・・
オムツが外れるわけがないでしょ。
沢山失敗して、その度にお父さんやお母さんが後始末をしてくれる姿を見て、一緒にお洗濯をして、覚えていくものよ。

富山の薬売りの教えを記しておくわ。

■富山の薬売り・七楽の教え■
楽すれば
楽が邪魔して
楽ならず
楽せぬ楽が
はるか楽々


子どもたちはその「学ぶ機会」がそもそもないの。
私が携わった子どもたちは、みんなトイレトレーニングを卒業し排泄面は自立したわよ。
例え発達や学習に凸凹があったとしても、子どもたちにはその能力が備わっているのよ。

チャレンジして失敗して工夫してまたチャレンジして・・・それでも難しければ配慮をする。
今はこれが抜けているわね。

まだまだ私が人生を全うする前に伝えなければならないことは沢山あって、
話をしだしたらキリがないけれど・・・



今日はこの辺で終わりにしておきます。

昭和・平成・令和を生きて齢80を迎え思うこと③につづく

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